【CDアルバム】
1993年5月「マドリッドからの招待状」1998年1月「この季節が終わる頃には」2004年2月「アダージョ」2009年5月「このかけがえのないひと時を」2013年11月「この思いを」
先週末、帰りに六本木駅まで歩いたら、仮装した人たちがゾロゾロ・・・
ゾンビたちやら看護士さんやらが集団でいたので、てっきりバイオハザードの次作「東京第2弾」撮影?かと思ったほどです(笑)
確かにこんなにうじゃうじゃ(失礼!)いるんなら、自分もやってみよう!なんて人が出てきても全くおかしくないし・・・
ええ?いやいや、もちろん私はやりませんよ(^^;)
そうですね~やるとしたら(・・・やる気になってる(ーー;))皆さんなら何に変身しますか?
スターウォーズおたくの私としては、やはりダース・ベイダーでしょうかねぇ・・・
どうせやるなら友人10人くらいに白いトルーパーのコスチュームで加勢してもらって、堂々と闊歩してみたいですね~ あはは
それもまた楽しからずや、ですね!
遊びをせんとや 生まれけむ
戯れせんとや うまれけむ
遊ぶ子供の 声きけば
我が身さえこそ 動(ゆる)がるれ (梁塵秘抄より)
では皆さん、ビバ!ハロウィ~ン!!
秋晴れの中、雲海に美しく山頂を覗かせる富士・・・とそこに、一羽の鳶が高く優雅に舞って・・・ナイスショット!
いや~ぁ、なかなか撮れる絵ではないでしょう・・・
昨日の朝、スポンサー企業・日ノ樹の内田副社長が、鎌倉・カフェテラス樹(いつき)ガーデンから写された写真です。
あまりに素晴らしいので、懇願して今日のブログのトップにいただきました!
実は、先週突然の「朗報」が舞い込み、昨日はこの爽やかな樹ガーデンで、大変な方々(…まだ申し上げられないのです(^^;))と、スポンサー企業・日ノ樹の石川社長と内田副社長、そして私とで、打ち合わせ兼会食会があったんです。
サプライズ「朗報」、いずれ発表しますね!
イタリアンの菊地シェフが、目にも美しく最高に美味な料理を!
まず1品目。
鎌倉野菜のサラダコンポゼ(なんとも粋なタイトルがついていましたが、きっとこれは氏の特権的熟語。内緒にしておきましょう)
続いては、イタリア産山栗のクリームポタージュ。
そして、北海道 秋刀魚、鎌倉産茄子、フレッシュトマトのパスタ。
この少し細めのフェデリーニが、極上の味を醸していました!
さてメインは、静岡 富士鶏のもも肉ロースト。インカのめざめのムースリーヌ、粒マスタードクリームソース、野生ルッコラのサラダ添え。
う、うま~い!
美味に酔い、話に夢中になり、つい最後のドルチェ(デザート)の写真を撮り損ねた伊藤なのでした(^・^;)
ちなみにドルチェは、アールグレイとマスカルポーネのパンナコッタ、フラボワーズ・プルーン・ブルーベリーのソースでした。
ああ、うまかった!
秋晴れの下、鎌倉の深い森の空間で、楽しい会話、美味しい食事・・・ゆるやかに流れる時間の中、贅沢な至福の時を過ごさせていただきました。
しかも画期的なお話しを・・・!
しあわせのふいうち。心から感謝です。
先日、周防正行監督の「終の選択」の試写会へ行ってきました。
終末医療の現場での、安楽死、尊厳死をテーマとしたもので、さすがにシリアスな中身。かなり重かったですね~ (― ―;)
高校時代に授業で、鴎外の「高瀬舟」についてみんなで話し合ったことをよく覚えていますが、この安楽死・尊厳死の問題は言わば永遠のテーマ、難しいですよね…
問題提起としては素晴らしかったと思いますが、この作品、好き嫌い両極端に別れるのではないでしょうか…
肝心なラストへの伏線であり、このテーマの説得性に関わってくるのですが、医者(草刈民代)と患者(役所広司)とが親密な信頼感(&恋心?)を培っていく過程の描きが、若干弱いように感じました。
以前FMのパーソナリティをやっている頃、番組で「M(誠)のシネマ・ライブラリー」コーナーも作っていて、ほぼ毎週1本ご紹介していました。この映画だと、きっと一気に30分くらいしゃべってしまいそうな予感がします。
でも、まずひとつ思うことがあるんです。
6年前に大病をし、新たないのちをいただいて以降、よく考えることです。
自分のいのちは、自分のいのちなのだろうか、本当にそうなのだろうか、と・・・
今回、患者が医者に重要な依頼を託すのですが、自分の最後を果たして自分で決めていいのだろうかと・・・天から授かったいのちを私物化するようで、どうも違うのではないかと・・・
臨死体験をしたからこそ、思うことなのかもしれませんね。
いずれにせよ、観に行こうと決めてる方、覚悟して観てくださいね(^^;)
写真を貼り忘れたのではありません・・・ これ、今日の青空なんです!
朝は雲一つ無い快晴。天高く、伊藤肥ゆる・・・いえいえ、皆肥ゆる秋ですね~
気分向上し(…単純…)、オフィスへ行く前に、かねてより行きたかった日枝神社へ参拝しました。
かわいい着物の子供たちが、少しオスマシして
ポーズをとってました。
伊藤も負けずに。
厳粛にお祈りを。
(まさかこれだけで、アレもコレも、コレもアレも、み~んな叶えてもらおうなんて・・・
(^^;)・・・思ってます)
そして社務所に立ち寄ると、「平成二十四年十月 いのちの言葉」という栞をいただきました。
なんと!そこには
「天も誠にて天たり
地も誠にて地なり」
と・・・。
驚きました。偶然も偶然、私の名前が・・・
信心深い伊藤は、暫し神と向かい合い、しみじみと感慨に耽ったのでした。
私は出雲の国の出身なのですが、今月、私の出身地は
「神無月」ではなく、「神在月(かみありづき)」なんです。
神様たちが皆、出雲の国に集まられ、会議をされるからだそうです。
今は出身地を遠く離れているのですが、小さい頃からそう聞いて育ってきたからなのでしょう、この10月は常に「護られている」という意識があるんです。
不思議ですね~
そして・・・必ずいいことが起きるんです!
オフィスに到着すると、ああ・・花壇の花が美しく植え替えられていました!
素晴らしい!感謝です (^ 0 ^)/
秋きぬと 目にはさやかに見えねども・・・
皆さんは何に秋の到来を感じられますか?
私は、キンモクセイの香りです。ようやく香ってきましたね。厳しい残暑のせいだったのでしょうか、今年は随分遅かったように思います。
大学の4年間、続いて、銀行に入行して最初の支店勤務が京都だったので、幸運にも計8年半、京の都に住むことが出来ました。
送り火も終え、盆地ゆえの酷暑を乗り越えた或る秋の日、朝窓を開けると、ぷわ~っと部屋いっぱいに広がる金木犀の香り・・・
いにしえの都の金木犀は、きっとこの千数百年、特別なパワーを持って生きてきたのでしょう。香りが殊の外強いのです。京都の街全体に、あまねく漂うこの心地よい甘さ・・・
得も言われぬ素晴らしさがありました。
実は先週後半から、この花をブログに載せたいと思い、香りを辿って金木犀を探したのですが、途中で違う香りに惹かれて美味しい店に入ったり(・・・(^^;))
今日さきほど、ランチの後、オフィスの近くの麻布小学校の前を通ったら、格別な香りの強さ!
ここは勇気を出して“行動力の伊藤”、ムーヴィング!。受付の方に「実は金木犀の…」とお話しし始めた時、ちょうど校長先生が通りかかられ、「ああ、ありますよ。」と!
なんと校長先生に自らご案内いただき、併設の幼稚園の園庭へ。
おお~!こんなにもたくさんのキンモクセイ!しかも爽やかな陽射しの中、皆満面の笑顔!!
それがこの写真です。校長先生、有難うございました!
では冒頭の古今和歌集の一句、「伊藤流」下の句を。
秋きぬと 目にはさやかに見えねども
金木犀の笑みし香りよ
私の歌創りは、浮かんでくるものを書きとめていく形です。
そのスタイルは、初めて歌が生まれた小学生の頃から全く変わりません。
それで作曲家と言えるのか、と言われると、仰る通りですねぇ…(^^;;)と答えるしかないのですが、湧き上がってくる歌詞とメロディが繋がっていき、ひとつの歌が出来ていく過程は、私自身にとっても感動のひと時です。
いつも思うのですが、特に立ち上がった姿勢の、頭のちょっと上あたりに、歌が流れているのではないかと・・・。問題はそれに気付けるかどうか。気づいたら、きっとそれを“ひらめき”と感じるのでしょう。
(これは内緒ですが、湧き上がるのは朝起きてだいたい1時間半~2時間くらいの時が多いです。内緒ですよ!)
おそらく、既に出来上がった歌のフルコーラスが流れていて、要はそれをどこまでキャッチできるか、だと思うのです。
その時に、すぐその場で書き留められる体制にあるかどうかも、とても大きなポイントなんです。
銀行時代は、だいたい通勤時間の電車の中。浮かんで、降りて、書き留めて。それから仕事にスイッチを切り替え(ざるをえなく)て。
そしてその夜かまた別の日、そのメモを眺めて続けるのですが、その時に再び当初のテンションに持っていけるかというと、これはなかなか難しいのです。
す~っと、ものの数分で出来上がる歌もあれば、1年2年経っても次が出てこないものもあり、後者の切れ端はもうすさまじいほど大量にあります。
でも、その“立ち止まったまま”の未完成の歌たちを、私は強引には創りません。大好きな歌だからこそ。
目下、迫りくるコンサートのために、その内の何曲かを選び、いつも眺めています。
あえて完成しようと思えばちゃちゃっと作ってしまえるのですが、それはしません。
だから、場所変えたり(特に“気”の満ちた場所がいいですね~)、想像力をかきたててあげたり(美術館へ行ったり、舞台を観たり)することが大事なんですよね・・・
静かにこぼれ落ちてくる言葉たちを拾い集めて、アルペジオに乗せて・・・
たとえば故郷・松江の私の実家の広大な庭(…ウソです ; ; )からの、何の障害もなく見渡せる青空はもちろんですが、こうしてビルとビルとに囲まれ、切り取られた都会の青空も、また別の圧倒的な素晴らしさがありますよね。
それは、我々が既に「空は無限に広がっている空間」であることを知っているからでしょう。
天体望遠鏡で覗く宇宙もそうかもしれませんね。円形に切り取られた天体だけれども、我々は無限に広がっている空間の一部であることを知っている・・・
知っている・・・??
いやいや、よく考えるとそれは、そう教えられたことによって知識がインプットされてるだけなのですよね。
空の、それに続く宇宙の、限りなく広がってる空間を、その果てしなさを、人類は誰一人自分の眼で確かめてはいないのですから。
言わば“見果てぬ夢”のようなものでしょうか。
まだ見てはいない、摘み取ってはいないけれど、きっとある、確かにある。
宇宙のように、難しい理論上の必然、という訳ではないけれど、何よりも「心」が、「魂」が、実現の必然を感じている・・・
夢に突き動かされいる・・・
だから、夢と向き合い、夢に向かって進めるんですね。
切り取られた風景の向こうには、輝ける広がりが、あなたの夢の実現があるのです!
よし!今日のランチは奮発して、Suji’sの「ステキなステーキ」にしよっと!(…すみません、全く関係ないですよね(^ ^;)>)
これはこの春にいただいた、8センチほどのペーパーウェイトなのですが、実に美しく、気品にあふれ、崇高で、今私のお気に入りのひとつです。
中に本物のミニバラが入っているのですが、こんなに美しい形で納まったものは、そうそう無いのではないかと思います。
素晴らしい!有難うございました。
「 夢の扉あけて 自由に羽ばたいて
輝く真っ赤な薔薇を 摘み取るのは君の destiny 」
韓国のポップスユニット・MtoMに書いた「夢の扉あけて」の歌詞のラストです。
薔薇の英語名の由来は、ギリシャ語の「赤」だと聞きました。
赤い薔薇の花言葉は「愛情」や「情熱」なのですが、私には、太陽に似た“別世界に咲く高みの輝き”、もっと言うと“夢を勝ち獲った者にこそ相応しい輝き”というものを強く感じます。
それだけ美しい高貴な花だと思うのです。それは、或いは「叶えたい夢」なのかもしれません。
寧ろ、そうやすやすと手に入るものであってはいけないのではないか、とさえ思えるような…。
コンサートで、いつもたくさんのお花をいただきます。
先週の土曜日、某教会で行ったコンサートでも、大きな美しい薔薇の花束をいただき、今オフィスの、私の目の前で咲いています。
「夢」が目の前にあるような、そんなうれしさを与えてくれるんです。
薔薇・・・いつも私を、こう言って叱咤し、鼓舞してくれる花。
「そんな小さなことにこだわらないで。
もっと大きく、もっと大きく、もっと大きく!」
(・・・それが食欲に直結し、体重がチュージツに増えてゆく伊藤なのでした (_ _; ) あぁ…〇〇の秋はツラい。。。 )
ご意見やお仕事のご依頼など お気軽にお問い合わせください。